2006年 11月 20日
肉体の改造 |
生命体のオブジェを制作しながら考えるに・・・
「肉体や精神」に手を加えることを人類は遥か昔から興味を持ち続けてきたようである。
肉体改造は、始め神聖な行為として個の想像と個の意思決定でなされてきた。
しかし、医療として発展しだすと手術と云う技術が確立される。肉体を傷付けても生き延びようとする側の意思決定と、肉体を直す側との意思決定とは、いつの時代もズレがあって、善悪の基準が論じられて来た。しかし、その基準は、その時代背景と権威や利害、又、その他の多くの理由などによって変わってきた。
近未来には、肉体を傷つけサイボーグ化が進み特殊な人間が出来上がって来る。
また、容姿を誇示する者達が現われ、意思決定も変化を遂げ想像の数だけ肉体の改造が増え続ける時代がやって来る。
その結果、自分が自分で無くなり改造がなされていない本来のオリジナルな者程、価値が増す結果となる。
肉体の変化を要求するは、必然がなす行為と思って自ら肉体をいじくり回してみても、そこにあるのは、自我の欲望であって宇宙が求める必然とはあきらかに異なる。
欲望に心が踊るは、自滅に向かう始めと思う・・。
イラスト「惑星群」(制作1996)
「肉体や精神」に手を加えることを人類は遥か昔から興味を持ち続けてきたようである。
肉体改造は、始め神聖な行為として個の想像と個の意思決定でなされてきた。
しかし、医療として発展しだすと手術と云う技術が確立される。肉体を傷付けても生き延びようとする側の意思決定と、肉体を直す側との意思決定とは、いつの時代もズレがあって、善悪の基準が論じられて来た。しかし、その基準は、その時代背景と権威や利害、又、その他の多くの理由などによって変わってきた。
近未来には、肉体を傷つけサイボーグ化が進み特殊な人間が出来上がって来る。
また、容姿を誇示する者達が現われ、意思決定も変化を遂げ想像の数だけ肉体の改造が増え続ける時代がやって来る。
その結果、自分が自分で無くなり改造がなされていない本来のオリジナルな者程、価値が増す結果となる。
肉体の変化を要求するは、必然がなす行為と思って自ら肉体をいじくり回してみても、そこにあるのは、自我の欲望であって宇宙が求める必然とはあきらかに異なる。
欲望に心が踊るは、自滅に向かう始めと思う・・。
by yama3-blog
| 2006-11-20 22:04
| 制作思考