2006年 02月 05日
御崎町の港 |
夏の日、海面よりかなり高い桟橋を渡る。線路の枕木の間から海が透けて見え、いつも緊張して渡っていたのを覚えている。
父や兄達と桟橋の突端まで行って小魚釣りをした。その頃の海の色は碧緑色で、陽が差してくるとさっと色が変わった。海の底の方まで透けて、色々な魚達の泳ぐ姿を見ることが出来た。
それは1940年代後半で長い桟橋の途中には、何隻もの汽船が停泊して黒い煙りを煙突から吐き出していた。今のように重油を使用していなかった時代で石炭やコークスを燃料としていたので、海の汚れも少なく透明で船底や橋脚には、ふじつぼやからす貝、エラコ、牡蠣貝など沢山付いているのが見えた。
父は、先の鉤型になった柄の長い竿で、橋脚に付いた牡蠣やエラコを取り、釣りの餌にしていた。
大きめの牡蠣貝は、その場で割って食べたものである。その時の海水の塩っぱさと牡蠣の美味しさは、いまだに覚えている。
又、その牡蠣をたこ糸に縛り付け橋脚の割れ目にいる毛ガニを釣り上げようと、何回も挑戦した。
毛ガニは結構大きく割れ目から出たり入ったりしているのが良く見え、その前に餌を下げるとすぐ食らい付く。だが、海面から桟橋の上までが高く、手繰り寄せる前にハサミに挟んだ糸を離してしまい、釣り上げることが出来なかった。
夏になると、その時のことが思い出される。
昭和23年頃 御崎埠頭の桟橋で
父や兄達と桟橋の突端まで行って小魚釣りをした。その頃の海の色は碧緑色で、陽が差してくるとさっと色が変わった。海の底の方まで透けて、色々な魚達の泳ぐ姿を見ることが出来た。
それは1940年代後半で長い桟橋の途中には、何隻もの汽船が停泊して黒い煙りを煙突から吐き出していた。今のように重油を使用していなかった時代で石炭やコークスを燃料としていたので、海の汚れも少なく透明で船底や橋脚には、ふじつぼやからす貝、エラコ、牡蠣貝など沢山付いているのが見えた。
父は、先の鉤型になった柄の長い竿で、橋脚に付いた牡蠣やエラコを取り、釣りの餌にしていた。
大きめの牡蠣貝は、その場で割って食べたものである。その時の海水の塩っぱさと牡蠣の美味しさは、いまだに覚えている。
又、その牡蠣をたこ糸に縛り付け橋脚の割れ目にいる毛ガニを釣り上げようと、何回も挑戦した。
毛ガニは結構大きく割れ目から出たり入ったりしているのが良く見え、その前に餌を下げるとすぐ食らい付く。だが、海面から桟橋の上までが高く、手繰り寄せる前にハサミに挟んだ糸を離してしまい、釣り上げることが出来なかった。
夏になると、その時のことが思い出される。
by yama3-blog
| 2006-02-05 21:25
| 室蘭市御崎町から