2007年 05月 14日
制作思考-モノを造り出すハ |
オブジェそのモノを造り出すハ、何を意識し、何の意味があるのか?
私は、物心付いて始めて身近かなものを表現した記憶として、紙に鉛筆で馬や自動車を描き始めたようだ。馬は、大きな家庭用マッチ箱に描いてある天馬で、車は当事走っていたステップの付いている今で云うクラシックな乗用車であった。平面表現から始めたことになるが、描くことに夢中になって得意なモノの一つとなった。知人は粘土での造形から始まって、おのずと立体感覚が身につき好きになって行ったと言う。
私は、クレパス、水彩画、油彩、コラージュ等と平面での表現が主であったが、平面ではどうしても表現し切れない自分の考えが芽生えてきて、オブジェやインスタレーションへと表現法方が変わって行った。
私は、この世の全てのモノの関わりを包む空間に付いて興味を持ち意識した。いつしか思考であれ行動であれ、オブジェを通して皆に語ろうとしてきた。又、相対する事柄や矛盾などを考え続けて来た。理解されるには時間が掛かるが、そのコト自体も表現の一片として継続することに意味があると思っている。
私は、物心付いて始めて身近かなものを表現した記憶として、紙に鉛筆で馬や自動車を描き始めたようだ。馬は、大きな家庭用マッチ箱に描いてある天馬で、車は当事走っていたステップの付いている今で云うクラシックな乗用車であった。平面表現から始めたことになるが、描くことに夢中になって得意なモノの一つとなった。知人は粘土での造形から始まって、おのずと立体感覚が身につき好きになって行ったと言う。
私は、クレパス、水彩画、油彩、コラージュ等と平面での表現が主であったが、平面ではどうしても表現し切れない自分の考えが芽生えてきて、オブジェやインスタレーションへと表現法方が変わって行った。
私は、この世の全てのモノの関わりを包む空間に付いて興味を持ち意識した。いつしか思考であれ行動であれ、オブジェを通して皆に語ろうとしてきた。又、相対する事柄や矛盾などを考え続けて来た。理解されるには時間が掛かるが、そのコト自体も表現の一片として継続することに意味があると思っている。
by yama3-blog
| 2007-05-14 07:32
| 制作思考