2006年 03月 02日
宇宙論考-智のエネルギー02 |
中学時代に私は科学クラブに籍を置いていた。
理科室には数多くの実験道具やアルコール漬けの標本があり、ある時はそんな中で顕微鏡を覗き、単細胞であるミドリムシやゾウリムシの分裂観察をノートに写し撮っていた。屋外での活動では小学校から続けていた昆虫採集に夢中になり、札幌近郊の野山や夕張など遠くの方まで、専門家用補虫ネット持って採集しに出かけていた。春から秋までに羽化する型の種類と、幼虫と食性の関係を意識しながら採集計画を立ててもいた。今では天然記念物として保護された物も有り、採集したものを系統別に標本にしていた。東京での生活を終え札幌に戻ってみると、親が近所の子供達に標本を全てやってしまっていた。過ぎた昔のことだが大切にしてくれていればと今でも気にしている。
少年時代は魚釣りや鳥観察など自然の中で生物達と出会うことに、いつも夢中になっていた。生き物達の行動を観察すると、厳しい環境を乗り越えながら生きている姿を観て何を感じて生きているのか必然的に興味が湧いてくる。当時、私の自宅では、犬・猫・鶏・羊・山羊・熱帯魚・小鳥などを飼っていた。犬や猫、他の動植物でもそうであるが毎日いつも一緒に過ごし特に可愛がって接していると、私の思いを察した行動を取ることがある。しかしそれは動物達が私の行動や習慣をよく観察しているから、その対応をしているに過ぎないと・・確かにそのことは正しいことだと思うが、そうとは言えない。口では説明できないような感覚的な気配を感じる時が有る。何かの機能が働いていて、私が無意識に考えていることをキャッチして行動を起こしているのではないかと思える。人間は全てにおいて自分達の測れる物差しで決定しようとする。だが動植物を観察しているとあらゆるものに対するアンテナ機能が備わっていると思える。人間から見ると驚異的な能力とみるが、この惑星に生命体として生きるべく肉体として自然界のバランスを保つ役割に適したものの姿として、存在しているのだと考えてみる・・。
各々の生命体としての智のエネルギーが感じられるのである。それは作り物でない生き物のエネルギーとしてである。
理科室には数多くの実験道具やアルコール漬けの標本があり、ある時はそんな中で顕微鏡を覗き、単細胞であるミドリムシやゾウリムシの分裂観察をノートに写し撮っていた。屋外での活動では小学校から続けていた昆虫採集に夢中になり、札幌近郊の野山や夕張など遠くの方まで、専門家用補虫ネット持って採集しに出かけていた。春から秋までに羽化する型の種類と、幼虫と食性の関係を意識しながら採集計画を立ててもいた。今では天然記念物として保護された物も有り、採集したものを系統別に標本にしていた。東京での生活を終え札幌に戻ってみると、親が近所の子供達に標本を全てやってしまっていた。過ぎた昔のことだが大切にしてくれていればと今でも気にしている。
少年時代は魚釣りや鳥観察など自然の中で生物達と出会うことに、いつも夢中になっていた。生き物達の行動を観察すると、厳しい環境を乗り越えながら生きている姿を観て何を感じて生きているのか必然的に興味が湧いてくる。当時、私の自宅では、犬・猫・鶏・羊・山羊・熱帯魚・小鳥などを飼っていた。犬や猫、他の動植物でもそうであるが毎日いつも一緒に過ごし特に可愛がって接していると、私の思いを察した行動を取ることがある。しかしそれは動物達が私の行動や習慣をよく観察しているから、その対応をしているに過ぎないと・・確かにそのことは正しいことだと思うが、そうとは言えない。口では説明できないような感覚的な気配を感じる時が有る。何かの機能が働いていて、私が無意識に考えていることをキャッチして行動を起こしているのではないかと思える。人間は全てにおいて自分達の測れる物差しで決定しようとする。だが動植物を観察しているとあらゆるものに対するアンテナ機能が備わっていると思える。人間から見ると驚異的な能力とみるが、この惑星に生命体として生きるべく肉体として自然界のバランスを保つ役割に適したものの姿として、存在しているのだと考えてみる・・。
各々の生命体としての智のエネルギーが感じられるのである。それは作り物でない生き物のエネルギーとしてである。
by yama3-blog
| 2006-03-02 23:22
| 宇宙論